ゲーム好きニコ厨の日常を描く壮大なプロジェクト
Posted by くるみ王子 - 2007.08.31,Fri
おはようございま(嘘)くるみです。
ウィキペディアの迷宮に迷い込んでしまい、こんな時間になってしまいました…。
おそろしや、ウィキペディア…。
全てはラプラスから始まりました。
ラプラスの名の由来はなんだったかな…と調べ、ラプラスの悪魔を知り、マクスウェルの悪魔を知り…
永久機関、アルキメデス、アルキメデスの原理、ケプラーの法則、アイザック・ニュートン、エーテル(物理)、特殊相対性理論、因果律、時間、クオリア…
あぁ面白い!興味深い!たまんねえ!!
まだ迷い込んだままですがとりあえず抜けてきました…。
後でまた迷い込んでこよう…。
んで、前にも「ゼロ」の事を書いたと思うのですが(このブログには載っていませんが)、似たような(というかほぼそのまま)のことを思いついたので一応書いておきます。
↓暇な人、興味のある人は読んでみてください。言っておきますが長いです。
「人はなんのために生まれてきたのか」
僕ら人間は、どこに向かっているんだろうね。
難しい事をたくさん考えて、この世界の色々な事を知って、昔に比べたら思想も技術も随分と進歩しただろう。
このまま同じように歩んでいったら、最後にはどこに辿り着くんだろうね。
宇宙の法則を解析して、それら全てを把握し、ありとあらゆる事ができるようになったら。
そこに“人間”は居るかい?
全知全能の存在というのは、もはや人間とは呼べないだろう。
僕ら人間は、最終的には神になりたいのかもしれないね。
仮に僕ら人間が神になったならば、世界は、宇宙は、どうなるのだろう?
宇宙の法則に基づいて、ありとあらゆる事が起きる。
いや、神なる存在がありとあらゆる事を“起こす”のだろう。
ありとあらゆる事ができるとするならば、何もせずに生きる、ということが可能になるかもしれない。
面倒な勉強、辛い仕事、睡眠、食事、生活する事全てを行わずに生きる、ということだ。
果たしてそれは“生きている”といえるのだろうか?
何をすることもなく存在するとはどういう事なのだろう。
辛い事も苦しい事もない代わりに、楽しい事や嬉しい事もないのかもしれない。
僕ら人間はそんな全知全能の神を目指して日々進歩しているのだろうか。
神になってしまったら、もう人間には戻れない。
生きているのかどうかも危うい存在となってしまった僕らは、世界に、宇宙に、終止符を打つのではないだろうか。
終わってしまったのだ。
全てを理解し、ありとあらゆる事が可能になるということは、それ以上進歩する事ができないという事だ。
バラバラのジグソーパズルは完成させるためにひとつひとつのピースを組み合わせる。
完成してしまったら、もうピースを組み合わせる事はできない。
もう一度ピースを組み合わせたいがために、完成したパズルをバラバラのピースに戻す。
つまり、完成したものは初めの状態に戻さなければいけないのだ。
これが世界の終わり。
完成した神なる存在は、人間に戻りたいがために世界を、宇宙を、初めの状態に戻すのだ。
こうして僕ら人間は、大きな流れを繰り返しているのかもしれない。
これまでに何度も神は誕生し、世界は終わりを告げ、新たな宇宙が生まれ、人間は進歩を続けてきたのかもしれない。
今の僕らは、神になるための進歩を続けている最中なのだ。
僕らはなんのために生まれてきたのかと訪ねられたら“神になるため”と答えるのも間違いではないのかもしれない。
-------------------------------------------------------
そうだ、ついでに「ゼロ」のコンプリートとナッシングも載せておきます。
「COMPLETE」
我々は何故、満たされた世界を望むのか。
前提の無い世界は不安や恐怖が伴うからだ。
我々はそういった負の感情を嫌い、排除しようとする。
だから解き明かすことに必死で取り組んでいる。それが進むこと、歩むことだ。
多くの者は全ての負の感情を取り除いた世界が楽園であると信じている。
だから必然的に満たされた世界を望んでしまうのだ。
それがゼロであるということも知らずに。
或いは、知っていてもそれを望んでしまうのが人の定めなのかもしれない。
「NOTHING」
完全な世界は無に等しい。
-------------------------------------------------------
ふぁ~…。
んじゃ皆さん、おやすみなさーい…。
ウィキペディアの迷宮に迷い込んでしまい、こんな時間になってしまいました…。
おそろしや、ウィキペディア…。
全てはラプラスから始まりました。
ラプラスの名の由来はなんだったかな…と調べ、ラプラスの悪魔を知り、マクスウェルの悪魔を知り…
永久機関、アルキメデス、アルキメデスの原理、ケプラーの法則、アイザック・ニュートン、エーテル(物理)、特殊相対性理論、因果律、時間、クオリア…
あぁ面白い!興味深い!たまんねえ!!
まだ迷い込んだままですがとりあえず抜けてきました…。
後でまた迷い込んでこよう…。
んで、前にも「ゼロ」の事を書いたと思うのですが(このブログには載っていませんが)、似たような(というかほぼそのまま)のことを思いついたので一応書いておきます。
↓暇な人、興味のある人は読んでみてください。言っておきますが長いです。
「人はなんのために生まれてきたのか」
僕ら人間は、どこに向かっているんだろうね。
難しい事をたくさん考えて、この世界の色々な事を知って、昔に比べたら思想も技術も随分と進歩しただろう。
このまま同じように歩んでいったら、最後にはどこに辿り着くんだろうね。
宇宙の法則を解析して、それら全てを把握し、ありとあらゆる事ができるようになったら。
そこに“人間”は居るかい?
全知全能の存在というのは、もはや人間とは呼べないだろう。
僕ら人間は、最終的には神になりたいのかもしれないね。
仮に僕ら人間が神になったならば、世界は、宇宙は、どうなるのだろう?
宇宙の法則に基づいて、ありとあらゆる事が起きる。
いや、神なる存在がありとあらゆる事を“起こす”のだろう。
ありとあらゆる事ができるとするならば、何もせずに生きる、ということが可能になるかもしれない。
面倒な勉強、辛い仕事、睡眠、食事、生活する事全てを行わずに生きる、ということだ。
果たしてそれは“生きている”といえるのだろうか?
何をすることもなく存在するとはどういう事なのだろう。
辛い事も苦しい事もない代わりに、楽しい事や嬉しい事もないのかもしれない。
僕ら人間はそんな全知全能の神を目指して日々進歩しているのだろうか。
神になってしまったら、もう人間には戻れない。
生きているのかどうかも危うい存在となってしまった僕らは、世界に、宇宙に、終止符を打つのではないだろうか。
終わってしまったのだ。
全てを理解し、ありとあらゆる事が可能になるということは、それ以上進歩する事ができないという事だ。
バラバラのジグソーパズルは完成させるためにひとつひとつのピースを組み合わせる。
完成してしまったら、もうピースを組み合わせる事はできない。
もう一度ピースを組み合わせたいがために、完成したパズルをバラバラのピースに戻す。
つまり、完成したものは初めの状態に戻さなければいけないのだ。
これが世界の終わり。
完成した神なる存在は、人間に戻りたいがために世界を、宇宙を、初めの状態に戻すのだ。
こうして僕ら人間は、大きな流れを繰り返しているのかもしれない。
これまでに何度も神は誕生し、世界は終わりを告げ、新たな宇宙が生まれ、人間は進歩を続けてきたのかもしれない。
今の僕らは、神になるための進歩を続けている最中なのだ。
僕らはなんのために生まれてきたのかと訪ねられたら“神になるため”と答えるのも間違いではないのかもしれない。
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そうだ、ついでに「ゼロ」のコンプリートとナッシングも載せておきます。
「COMPLETE」
我々は何故、満たされた世界を望むのか。
前提の無い世界は不安や恐怖が伴うからだ。
我々はそういった負の感情を嫌い、排除しようとする。
だから解き明かすことに必死で取り組んでいる。それが進むこと、歩むことだ。
多くの者は全ての負の感情を取り除いた世界が楽園であると信じている。
だから必然的に満たされた世界を望んでしまうのだ。
それがゼロであるということも知らずに。
或いは、知っていてもそれを望んでしまうのが人の定めなのかもしれない。
「NOTHING」
完全な世界は無に等しい。
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ふぁ~…。
んじゃ皆さん、おやすみなさーい…。
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1989/08/31
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ニコニコ広場で王子と名乗ってました。
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